構造もメーカーによってかなり違いがある。
HELDもちょっと他とは違う点があるだろうか。
昔のスキー靴メーカーは、皆登山靴のメーカーだった。
沢山あった。ドロミテ、コフラック、エッシングもそうだろう。
日本では、ミズノがオーダーメイドもやっていた。6バックルという贅を極めた製品もあったな。
インナーブーツではこの技が生きるのだろう。
これらの老舗メーカーも全て吸収合併を受けている。
SALMON、何時頃現れたのだろう?
これほど簡略に造るメーカーはそれまではなかった気がする。
全てが、構造が簡単で軽い。
シェルも実に簡単な構造で軽い。しかしインナーブーツの造り込みはいい感じかな。
このHELDの靴裏、HEADもそうだけど、コバの下部分が交換可能になっている。
普通の靴ならば、昔ながらの製法のものあれば、ピンで打って糊付けしているだけなので、交換できる。
今は合成有機材料で一体構造にした靴裏も多いけれど、おいらはそれを好まない。
昔ながらの積み革のヒールが好きだし、靴裏全てが革を重ねて造ってある靴が好きだ。もちろん今となってはかなり高価になる。本当に良い製品になると、スキー靴などよりも高価になるし、通常は店頭には置いていない。
当然、名古屋のような田舎には現物はない。
HELDに戻ろう。
この鋲の数は何か?
これを見ただけで、頑強そう。
つまりまだ手元にはない。相当古い在庫品で、2012年か13年の製造かと思う。
インターネット上にも全く情報がない。
子供用のスキーブーツでは大きなシェアを持っているようだけど、レース対応の硬いシェルなどもあるようだけど、少なくてもおいらは現物を見たことがない。
どうも相当に硬いシェルらしい。
ところで、日本戦略は上手くいっている。それは日本国内だけでではあるけれど・・・
前にも触れたけれど、昔から基礎スキーと呼ぶ変なスキーがある。基礎スキーとは何ぞや?
スキーの基礎ならば分かる気がするが、名詞として成立する気が、少なくてもおいらにはしない。
早い話、何でも位とか資格が好きな日本人の特徴を擽って、いい収入源を得ている。
この手法は、柔剣道や珠算、あるいは漢字まである。
英検に、TOEICやらTOFELやら。認知されればこれほど面白い話、ボロ儲けはないだろう。
昔、おいらが子供の頃から、スキーは勇気の証で、他のスポーツとは違う。
勇気のない子供はスキーができないのか?
お嬢様スキーとして誕生したのが、基礎スキーとやら。
子供頃からスキーができるという、巷では裕福な家庭の子弟。
でも勇気はからっきしない。
勇気のなさを弁護する理屈も作ってくれる。
当然かもしれにが、無駄な姿勢や形が生まれる。それ以外にやることがない訳だ。
スキーは必要があって形、姿勢が生まれる。
その重要な要件にスピードがある。
このスピードを制御することがスキー技術とも言える。
これは柔剣道の型ではない。次に起きるシーンを想定して練習するというものではない。
そう体験、感覚が重要で、必要な姿勢や形はそこから生まれる。
これがなくてもスキーを語ることは出来る、様にしたのかな?
本ばかり読んで、というか、教科書に書いてあることを一早く理解して、試験で書けることが勉強だとして育てられたのに似ている。
教科書はガイドに過ぎない。これを元に討論し考え方を自らまとめる。そして体験し、体現するのが有効な勉強だろう。
クラシックバレーじゃあるまいし、スキーには必要な姿勢があるだけで美しい姿勢は要らない。
手をいっぱいに広げて奴凧になる必要はない。
なぜその基礎スキーとやらが盛んになったかは、その後の経緯にもよる。
スポーツでは飯は食えない、のである。
それで永遠とやっていけるのは、特定のスポーツでの極々一握りの人間しかいない。
あくまでも趣味で、その最高峰がワールドカップであり、世界選手権、オリンピックだろう。何処まで行ってもスポーツは趣味の世界だということ。
その興業化に成功したアメリカは、手離れも早い。
永久的な興行化を成功させているのは、日本の大相撲くらいなものだ。
これを歌舞伎化するには、結局利害関係で、そこから生まれるのは世襲でしかない。
つまり、プレーヤーは実力ではなく、またその実力を評価する明確な基準を持たない。その基準を持つこと自体、世襲が成り立たないことになる。
明確な基準を持たない世間の評判評価にたより、それを錯覚させ、その世界で生きるより方法がない。
見得を切る、奴凧もそうなのだろう。